第二次世界大戦から冷戦の時代に活躍したソ連の兵器開発者で、秘密設計局OKB-812(通称グラーニン設計局)の局長。 道路移動型弾道ミサイルシステム『SS-1C』の基礎技術など、大戦中に活躍した様々な軍用技術を発明した実績からレーニン勲章を授与している。 自身を”偉大な男”と称す。愛国心に溢れ、祖国ソ連のために生涯兵器開発を行うことを生きがいとしていた。 知り合った経緯は不明だが、1960年代当時すでに敵国であった米国の科学者エメリッヒ(=ヒューイ)と友人関係にあり、 互いの研究について手紙のやり取りで語り合う仲であった。
第二次世界大戦終結後、 グラーニン設計局はGRUの大佐でありソ連の政権転覆を目論む”ブレジネフ派”の中心人物ヴォルギンの管理下に置かれ、 グラーニンはヴォルギンの懐(賢者の遺産)から開発資金を得るようになった。 彼はかつて自身が開発した移動型弾道ミサイルシステムから考えを発展させ、 また兵器もサルからヒトへの進化を踏襲するべきだという思想により、 移動型の核ミサイルシステムとして二足歩行戦車の研究に打ち込むようになる。 彼はそれを歩兵と兵器をつなぐ金属の歯車(メタルギア)と称した。 しかし、当時兵器の二足歩行は時代を先取ししすぎた考えであったため周囲からは理解を得られず、 またヴォルギンは早期に結果を出していた KGB側の科学者ソコロフによる新型核発射システム”シャゴホッド”に目をつけるようになる。 やがてグラーニン設計局はヴォルギンから満足に開発資金を得ることができなくなり、 グラーニンは生前彼自身の手でその研究を完成させるに至らなかった。
1964年(MGS3)、米国・CIAがスネークイーター作戦を決行した際、 グラーニンはヴォルギンへの反発心から、 シャゴホッドを破壊するためヴォルギンの本拠地へと単身潜入を試みていた CIAのエージェントネイキッド・スネークをサポートした。 だが同事件中、彼はヴォルギンによりCIAのスパイの疑いをかけられ、拷問を受けて命を落とした。
グラーニンの二足歩行兵器に関する研究成果は、1964年の事件中にCIAのスパイオセロットの手によって回収され、米国に渡っている。 彼は生前、自分が命を落とすようなことがあれば自分の研究を引き継いでもらいたいと、 友人ヒューイに向けた手紙に綴っていた。 彼自身の手で直接研究が引き継がれることはなかったが、 1970年代にCIAによって『平和歩行計画』が開始されると 運命的にその研究はヒューイの手に渡ることになった。 これに端を発し、後の歴史で数多くの核搭載二足歩行戦車『メタルギア』は開発されることとなった。 ”メタルギア”という呼称についても、グラーニンからその話を聞いたビッグボス(=ネイキッド・スネーク)によって 伝言的にヒューイのもとへ届いている。