観るMGS3は、2005年にコナミから発売されたPlayStation 2用ゲームソフト
『メタルギアソリッド3 サブシスタンス(以下、サブシスタンス)』の
特典ディスク『EXISTENCE』に収録された映像作品。
同ディスクはサブシスタンスの”初回生産版”、”ヘッドセット同梱版”にのみ付属された。
本作は、サブシスタンスの原作である『メタルギアソリッド3 スネークイーター(2004年発売/以下、MGS3)』の
ゲーム本編におけるストーリーを映画のように鑑賞できるコンテンツである。
ただし、あくまで映像ソフトではなく、PlayStation 2用のソフトになっているため注意。
”鑑賞するMGS3”とも呼ばれる。
本映像作品は、単にプレイ動画を編集しただけの映像ではなく、
通常のプレイでは観ることができない新規カットが多用され、
さらに声優の”田中秀幸”氏によるナレーションが入った特別構成となっている。
主な特徴は以下の通り。
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本来ゲームではイベントが完全に主人公の主観から描かれるが、
本映像では敵陣との視点が切り替わるような編集によって物事が並行して動いている様子が表現されている。
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イベントの時系列順を入れ替え、
回想を交えるような形の演出が多用されている。
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デモシーンで使用されるBGMが、一部演出に合わせて変更されている。
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ゲームプレイパート(潜入、ボス戦)において、
実際のゲームでは使用できないカメラアングルによって
イベントシーンのような映像が表現されている。
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無線画面や武器ウインドウといったUIやアイテムボックスなど、ゲーム的な描画は完全に排除されている。
しかしその都合上、後方支援部隊の人物たちはほとんど登場しなくなっている。
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短い尺に収めるためいくつかのイベントがカットされているが、
繋がりに矛盾が発生しないように工夫が施されている。
映像はチャプター制で全8話で構成されており、
全編の再生時間は約3時間半となっている。
メニューからはチャプターごとの再生も可能で、
チャプター内においても映像がいくつか分割されており、その単位でスキップも可能。
各チャプターのおおまかな内容は以下の通り。
多少ネタバレを含むため、ゲームを未プレイの場合は注意。
- Chapter 001『Virtuous Mission(貞淑なるミッション)』
『バーチャスミッション』の開始から終了まで。
再生時間、約33分40秒。
ゲーム本編と同様の、楽曲『Snake Eater』を使用したオープニング映像も含む。
- Chapter 002『Operation Snake Eater(スネークイーター作戦)』
『スネークイーター作戦』の開始から、
ラスヴィエットでの山猫部隊との戦闘と、オセロットとの再会まで。
再生時間、約18分40秒。
- Chapter 003『The Cobras(コブラ部隊)』
オセロット、ザ・ペインとの戦いと、
ポニゾヴィエでのヴォルギンらの会話シーンが、視点を切り替えるような形で編集された内容。
再生時間、約14分20秒。
- Chapter 004『Metal Gear(メタルギア)』
グラーニニ・ゴルキー研究所でのグラーニンとの出会いから
ザ・フィアー、ジ・エンドとの戦いまでの内容と、
グロズニィグラードでのヴォルギンらの会話シーンが、視点を切り替えるような形で編集されている。
再生時間、約20分。
- Chapter 005『Grozynj Grad(大要塞グロズニィグラード)』
スネークがグロズニィグラードにて捕らえられてから脱出するまで。
途中、ザ・フューリーとの戦いと、要塞への潜入パートが
回想を交えるような形で編集されている。
再生時間、約21分30秒。
ちなみにタイトルのつづりが”Grozynj”となっているが、
”Groznyj”の誤記だと思われる。
- Chapter 006『Wiseman's Legacy(賢者の遺産)』
ザ・ソローとの戦いから、
グロズニィグラードの兵器廠・本棟でスネークがヴォルギンと再び対峙するまで。
再生時間、約23分40秒。
ちなみにゲームの英語版では、
『賢者の遺産』の英訳はこのチャプターのタイトルと異なり
”Philosophers' Legacy”とされている。
- Chapter 007『Shagohod(シャゴホッド)』
ヴォルギンとの戦いから、シャゴホッドを破壊するまで。
再生時間、約23分45秒。
- Chapter 008『Debriefing(帰還報告)』
グロズニィグラードからの逃走劇から、エンディングまで。
回想を交えるような形で、ザ・ボスとの戦いが後半に来るように編集されている。
再生時間、約51分15秒。
ちなみに『EXISTENCE』のディスクケースに封入されている冊子には
”小島秀夫”氏からのメッセージが掲載されているのだが、
その中で本映像は、本来”遊ぶ”ものであるはずのゲームを”観て体験”させることに挑戦したものであり、
あくまで映画ではないということが強調されている。